俊寛堂入口
硫黄島の北へ向かう途中,矢筈岳の麓の大名竹の林にひとすじの緑の細道が現れます。
それが俊寛堂への入り口です。
その細道はこけの絨毯に覆われ,木漏れ日が射す光景はとても幻想的です。
俊寛堂
1177年,平家打倒を謀ろうとした罰として硫黄島へ流された俊寛が暮らしていたとされる住居跡に建てられた小さな祠です。
共に流されてきた2人は罰を許されましたが,俊寛だけは平清盛の怒りが解けず,ひとり島に残され,失意のうちに37才で生涯を閉じました。
このあたりでは経文の書かれた小石が多く見つけられています。
熊野神社
硫黄大権現宮とも呼ばれ,安徳帝晩年の皇居跡とも伝えられています。
硫黄島に流刑になった成経と康頼は早く許されて都に帰れるようにと紀州熊野三所権現を勧請してここに祀りました。
後に安徳天皇が居住されてから,来真三種権現と改められ,三種の神器が内陣に祀られたといいます。
安徳天皇墓所
三島小中学校の横に,安徳天皇とその従臣の墓所があります。
文治元年(1185年)3月25日,壇ノ浦における源平の一大決戦で平家は滅び去りました。
このとき二位尼に抱かれて入水し,崩御したとされる安徳天皇は,硫黄島に逃げのび,しかも後年,資盛の娘櫛匣の局をお后として髏キ親王を儲け,66年の生涯を送ったとも言われています。
平家城跡
島の北端に位置する台地で,落ち延びた安徳天皇を源氏の追っ手が来ないかを従臣が見張っていました。

   

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